仮にT君に世界を救う絶大な力があったとして、そんなT君に救われることになる「世界」や「みんな」とは一体どんなものだろう。
それは、T君が「良い」と思っていることを「世界中の人が受け入れなければならない」ということを意味する。
あるいは蘭さんが「良い」と考えていることを「全ての当事者が受け入れる」という前提で物を考える、ということを意味している。
「みんなを救う」と言えば聞こえはいいが、これはファシズムであり、一種のエッセンシャリズムなのだ。
「世界はたった一人の人に救われてはいけない」のであって、これは「当事者」においても同様のことが言える。
だからこそ、の「多様性」であり「運動」だったはずなのである。
それは、T君が「良い」と思っていることを「世界中の人が受け入れなければならない」ということを意味する。
あるいは蘭さんが「良い」と考えていることを「全ての当事者が受け入れる」という前提で物を考える、ということを意味している。
「みんなを救う」と言えば聞こえはいいが、これはファシズムであり、一種のエッセンシャリズムなのだ。
「世界はたった一人の人に救われてはいけない」のであって、これは「当事者」においても同様のことが言える。
だからこそ、の「多様性」であり「運動」だったはずなのである。
May
27